Chiharu Shiota: The Soul Trembles:塩田千春 魂がふるえる

art

会期:2022.11.26–2023.04.30 会場:Museum MACAN

アーティスト:塩田千春(しおた ちはる)1972年大阪府生まれ。ベルリン在住。マリーナ・アブラモヴィッチやレベッカ・ホーンに師事。大規模なインスタレーションで知られ、数々の国際展に参加する日本を代表する現代アーティスト

2019年に森美術館で開催された「塩田千春 魂がふるえる」展は、塩田千春の最大規模の個展であり、観客動員数66万人を超えた展覧会として私も記憶していたけれど、なんとその展覧会がジャカルタにトラベルしているとは思っていなかった。

MACANは少しだけ作りが森美術館に似ていなくもない。

高層ビルではないけれど、企業が入ったオフィスビル内にあり、エレベーターで美術館のある階まで上がると入り口のカウンターがあり、展示室から外が見渡すことができる大きな窓がある。MACANがジャカルタに開館した際は、オープニングで草間彌生展が開催され、開催当時は中に入れないほどの大盛況だったと聞いた。
日本の現代女性アーティストがどのようにインドネシアで受け入れられているのか、とても興味深く2回目の塩田千春展を見に行った。

日本では現代アーティストの展示はまだまだ動員数が少ないと思うが、週末のMACANはとても賑わっていた。

チケットは全てキャッシュレス。曜日によって金額も変わってくるみたい。

1階でチケットの手続きをする。チケットはメールで送られてくるのでそれを確認、エレベーターを上がって美術館階で再度メールを提示して入館する流れだ。手荷物は基本的にクロークに預けるよう指示される。
小さめのミュージアムショップ、カフェはジャカルタでよく見かけるCommon Groundsが入っている。入って右手の小さな部屋が子どもたちのワークショップスペースで、毎回展覧会のイベントなどで制作された子どもたちの作品が展示されている。展示室の前には広いフリースペースが広がっており、ベンチに座ってくつろぐ人、大きな窓から外を眺めながらコーヒーを飲む人、小さな子どもたちもいて明るい雰囲気が印象的だった。

会期中盤で行ったが、若い人中心にとても賑わっていた。
代表作である真っ赤な無数の糸で覆われたインスタレーション《不確かな旅》や、燃えたグランドピアノの周りを黒い糸が埋め尽くす《静けさの中で》は、森美術館同様にたくさんの人が思い思いにカメラを向けていた。
見た目のインパクトが強いがしっかりキャプションを読んでいる人も多く、関心の高さを感じる。

塩田千春は目に見えない不安や恐怖、積み重なった人々の記憶や夢など、形のないものを大規模なインスタレーションや、パフォーマンスで表現してきた。とても個人的なテーマを扱いながらも、生と死、アジア人であること女性であることなど、人が生きていく限り抱き続ける普遍的な課題を追求し続けているアーティストだ。

私は学生の時から、塩田千春の作品が好きだった。
作品の美しさやインパクトはもちろん、巨大な泥にまみれた白いドレスの作品や、泥水をかぶり続ける作品にもどこか共感を抱いていた。異国の地で暮らしていても、自分から滲み出てくるアイデンティティのようなものは、泥水のように内側からいつの間にか染み出してくる。水で洗っても洗ってもそれは拭うことができず、洋服は自分と外の世界を隔てるバリアみたいなもの。
私は、自分と暮らしている土地がギクシャクしてバランスが取れないような気持ちになることがよくある。塩田千春の作品はそんな言葉にできない、でも見逃したくない気持ちを形にしているみたいだ。

そういった普遍的なテーマが、イスラム社会、他宗教多民族多言語が当たりのインドネシアの人々が、どういった思いで見ているのか。私には想像することしかできないけれど、きっと全く違うものに映っているに違いない。

一緒に行った息子はニコニコしながらてけてけと歩いて見ていた。
赤い、黒いと色でいっぱいの空間は面白いのだろう。ミニチュアの椅子やピアノが糸で絡まった作品《小さな記憶をつなげて》を、息子は特にじっくり見ていた。ジオラマ好きな坊や。好きなものを集めて一つのところに留めておきたいという欲求も、根源的なものなのかもしれない。

息子がもう一つ気に入っていたのは窓に囲まれた《内と外》。200枚以上の窓を使って作られたという今回の作品を見て、こんなにたくさんの窓がどこから来たのか不思議に思ったそう。争いがあったけど街が直されていく中で、たくさん建物が壊れてしまったから、大切な建物があったんだよってみんなが覚えていられるように窓を集めてきたのかもしれないねと言うと、「そうだね」と納得した様子。3歳ながら感じるものがあるようだった。

当然だが、森美術館と比べると人も少なかったのでとても見やすく、子連れでも余裕を持って見ることができた。

個人的な体験、自身のアイデンティティ、人々の痛みや記憶などをテーマにした作品たちが、自然と私の中に入り共感できるのは、自分が塩田千春と同じ日本人であり、女性であるからと長年思っていた。しかし、こうしてインドネシアで同じ展覧会を、今度は日本人であるということがマイノリティの立場で見ると、また自分の立ち位置がぐらぐらと不安定になる。どこにいても私自身は変わらないはずなのに、周りの環境で私のタグ付けはどんどん変わってしまう。でも、3歳の息子をふと見るとそんな周りの価値観などものともせずそのままで生きている。人が持っている根源的なものって一体なんだろう、私ってなんだったんだっけと外国にいると思い知らされることが多々あるけれど、私ももっと息子のように生きられたら素敵だなとふと思った。

コメント

タイトルとURLをコピーしました