会期:2024.05.23 – 2024.10.06 会場:MACAN
アーティスト:Patricia Piccinini(パトリシア・ピッチニーニ)1965年シエラレオネ生まれ、オーストラリア在住。急速に発展する現代社会の技術、特にバイオテクノロジーや遺伝子技術の進化への警笛、生命や自然の脅威をテーマに、インスタレーション、映像作品などで表現している。
ジャカルタに来て、パトリシア・ピッチニーニの個展が見られるなんて、この展覧会がとても待ち遠しかった。
解剖学や病理学を学んだピッチニーニが作り出す、ハイパーリアルな立体作品をまとめて見られる機会はそうそう無い。今までカタログで見ていて、とても魅力的な作品だと思っていた。
あり得ない生き物のあまりにリアルな姿。
人形でもない、でもその肌や毛穴、髪の毛や体毛、瞳の潤み具合はどう見ても「生き物」のそれなのだ。


展覧会入り口では、「赤ちゃん」を抱っこさせてくれる。
息子は最近、自分より小さな子を構いたがるので、いそいそと赤ちゃんを抱っこしている美術館のお兄さんに近づき、自分もとジェスチャーで伝えて抱っこさせてもらっていた。おっかなびっくりではあったけれど、眠っている「赤ちゃん」を起こさないように、小さな声で「ねんねんねん」と言いながら抱っこしていた。絶対に生きていると思っている。特に何の動物の赤ちゃんかはさほど気にしていないようだ。「赤ちゃんが寝ているから優しくする」ただそれだけの様子が面白い。

こちらの作品には、「危ないよー」と声をかけに行っていた。


水かきがついていたり、他の動物と人間のキメラだったりするのだが、肌から透ける血管、体のシミやホクロ、肉のたるみ、体毛の毛流れ、顔の皺、目線、まつ毛や眉毛の質感。どこを取っても明らかに「生き物」である。あり得ない細さの手足や形、複数の乳房や体の器官があっても、あまりにその一つ一つがリアルを伴っていて、説得力がある。息子の様子を見るに、これら作品を「変」とは思っていない。これは何の生き物?という疑問も無さそう。そのままその通りに受け取っていた感じがする。自分とは違うかもしれないけれど、目で見たまま、何の違和感もなく受け入れている感じがした。

この展覧会には「CARE」というタイトルが付いている。
もしかしたら近い未来、過剰に進化しすぎたテクノロジーは、生命の領域を侵犯してしまうかもしれない。動物と人間、その境目があやふやになったり、欲望のまま技術を進化させて人間が生命を作り出してしまうかもしれない。でも、この展覧会で佇んでいる「生き物」たちは、みな違う姿だけど、抱き合ったり、一緒に寝たり、互いを慈しみあっているようにも見える。誰も争いはしていない。
「生き物」には皆自然に他者に優しく、慈しむという思いやりの気持ちがあるのではないか。そんな祈りのような気持ちを作品から感じる。そして、その自然な思いやりは、息子にもちゃんと備わっている。
「CARE」というタイトルが、本当に素敵だ。
そして、ここでもまた他民族、他宗教国家であり、あらゆる考え方、あらゆる人種の人々が交錯するインドネシアという国のことを思う。隣の人と自分は全く違う人間だということ。でも互いに優しく思いやりを持って暮らしていくこと。当たり前のことを再確認する。

今回も楽しみにしていた子どものスペース。

部屋中至るところに魚?のようなぬいぐるみと、卵のような柔らかい球体がたくさん。
床はふかふかで、ところどころカーペットやビーズクッションがあり、壁や鏡でキラキラ。とても心地よい空間。
この魚みたいな生き物は、キメラなのか。
子どもはこの柔らかな空間を自由に探索することができる。
息子が行った時間は、息子だけしかいなかったため、この空間内にあるすべてのキメラと卵を真ん中に集めて、床に寝転んだり、クッションに埋もれたりたっぷり遊んでいた。


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